どうもこんにちは。
タクミです。
『嫌われる勇気』
の内容まとめ記事。
今回の第5話で最終回となります。
過去の話はこちらからどうぞ。
今回の第5話は、
対人関係の到着点としての、
「共同体感覚」・「所属意識」
そして人間の幸福とは?
についてまとめております。
(結果、文字数がかさんでしまった
・・・すみません)
登場人物は変わらずこの3人。
(左から)
①アドラー顔の哲人 ②青年 ③(旧)タクミ
〜 前回までのあらすじ 〜
自由に生きるためには、承認欲求を否定するべし
(承認欲求:他人から認められたいと言った類の欲望)
ということを、哲人に教えられた青年。
承認欲求に沿った生き方
→他者の期待を満たすためだけの人生
(真の意味で、自分の人生を生きていない)
あらゆる対人関係は、他者が取り組むべき
課題に対して、土足で踏み込むことで起きる。
→課題の分離で、誰の課題なのかはっきりさせる必要がある。
哲人は言います。
「課題の分離は、あくまでも対人関係の入り口に過ぎない」
では、
「対人関係のゴールとは一体何だろう?」
といった青年の疑問から、
最終話スタート!
では参ります!
対人関係のゴールとは?
共同体感覚について
課題の分離が対人関係の入り口ならば、ゴールは何になるんですかね?
(このペテン師。絶対に嘘を暴いてやる・・・)
対人関係のゴールは(ズバリ)共同体感覚を持つことである
・・・共同体感覚?
【共同体感覚とは?】
他者を仲間だとみなし、
そこに自分の居場所があると感じられること。
アドラーが提唱する共同体とは、
家族・会社・地域などのコミュニティに留まらず、
国家や人類等、はたまた宇宙を包括した全てを指す。
(時間軸においては過去から未来までも含む)
参考書籍:嫌われる勇気
なんか胡散くさい単語だなぁ(笑)宇宙とか意味不明。
事実、アドラーが共同体感覚を提唱した際、多くの人が彼から離れていきました。
じゃ、僕もその一人ということで。お疲れ様でしたー。
・・・不幸の源泉は対人関係にある。すなわち幸福の源泉もまた対人関係にある
・・・うん?幸福の源泉だって?(幸福という言葉に弱い青年)
アドラーが唱える
「共同体感覚」とは、
(分かりやすくいえば)
幸福なる対人関係の在り方を考える指標
と言えます。
もう少し掘り下げて考えていきましょう。
社会学におけるコミュニティの最小単位について
共同体感覚は、英語で言うと
「social interest」となります。
(社会への関心)
では、社会学における「社会の最小単位」は何でしょう?
社会の最小単位・・・分かりませんが?
社会の最小単位は、You&I !!
要は、あなたと私の最低2人がいれば
一つの社会が成立するという意味になります。
哲人は続けます。
なぜ人は、えてして自分にしか興味がないのでしょう?
ふっ、笑止。自分という人生の主人公は自分だから当然じゃないですか?自分という映画の主人公は自分で、カメラも自分を中心に・・・(省略)
まるで世界の中心は、
自分であるかのような主張をする青年。
しかし、それは非常に危うい考え方かもしれません。
あなたは世界の中心ではありません。(きっぱり)
・・・・・・何だって?
自分にしか関心を持たない
青年のような考え方は、
どこかの国の王子や姫様と同じで、
「この人は、
自分のために何をしてくれるんだろう?」
という自己中心的なライフスタイルに繋がります。
(承認欲求が抱える根本的な問題)
しかし、
他者は決して青年の期待を満たすために
生きてなどおらず、
青年の欲求が人生において
満たされ続けることはありません。
自分の欲求が満たされなかった時に、
人はこう言うのです。
裏切られた!
目をかけてやってたのに!
がっかりです!
要は、自分が世界の中心にいると思い込むことは、
遅かれ早かれ仲間を失う結果になると言えます。
これらの問題を解決するための
方法を哲人は語ります。
自己への執着を、他人への関心に切り替えるべき理由
あなたとわたしを起点に、「自己への執着」を他者への関心に変えるべきである
自己への執着とは、
簡単に言えば、
自己中心的な態度。
自己中心的とは、
いわゆる一般的な暴君のイメージの他に、
「課題の分離」ができておらず、
承認欲求にとらわれている人間
も当てはまります。
(他者がどれだけ、自分を評価してくれるのか?
→自分の欲求を他人がどれだけ満たしてくれるのか?)
つまり、承認欲求にとらわれた人間は、
(結果的には)
自分のことしか考えてないと言えます。
他者からどう見られるかにしか関心がない生き方は、自己中心的な生き方であると?
だからこそ、自分視点のみの生き方でなく、他者への関心を払う必要があります
承認欲求が
自己中心的な生き方に繋がると、
バッサリ切り捨てる哲人。
続けて、
所属感を持つべき理由にも言及していきます。
人間の根源的欲求 所属感について
人間の根源的な欲求に、所属感というものがある。
【所属感とは?】
共同体の中に、自分の居場所を感じられること 。
「ここにいてもいいのだ」と思えること。
例えば、学業や仕事、交友関係や恋愛、
結婚なども全ては
「ここにいてもいいのだ」という
所属感を探すことに繋がっている
うーん、これは確かにそうかもしれないなぁ。
自分の人生の主人公は自分であるという
認識に問題はありません。
しかし、「自分」や「私」は決して
世界の中心ではなく、
あくまでも共同体の一部であると
考えるべきと哲人は説明します。
世界地図の発想ではなく、地球儀的な発想が重要
世界地図は、各国ごとに作りが違うのは
ご存知でしょうか?
自分の国を中心とした世界観で、
展開されているのが世界地図なのです。
(例えば、
極東の日本→当時の覇権国イギリスからみた視点など)
一方、地球儀には世界の中心というものは
存在しません。
(無限の中心が点在している)
なぜ、自分が世界の中心でないと認識しなきゃならないんですか?
所属感は、共同体にコミットしていくことで得られるからである
要は、
承認欲求的な発想の
「この人は自分に何を与えてくれるか?」
ではいつまでたっても、
所属感を得ることができません。
「私はこの人(共同体)に何を与えられるか?」
という風に考え、
所属感とは、自分の手で獲得していくものである!
という姿勢が、
所属感を得るためには必要になります。
承認欲求の否定は、
所属感の獲得にも関係しているのです。
縦の関係・横の関係
褒めるという行為の裏にある本音
アドラー心理学では人を褒めるという行為は推奨してません。
・・・(またおかしなこと言ってらぁ )
よく子供は褒めて伸ばそうという
意見がありますが、
アドラー心理学は、
「人を褒めてはいけない」
という立場をとります。
褒められたら誰だって嬉しいだろ!なんでいけないんだ!
褒めるという行為の裏には、人を操作しようとする考えが働いている
哲人曰く、
褒めるという行動は
「能力のある人が、能力のない人に下す評価」
という側面があるとのこと。
自分の子供がお手伝いをしたら、
多くの母親は褒めるという行動をとりますが、
自分の夫に対して褒めることはしませんよね?
叱る(怒りを使う)ことも同じく、
自分が相手より優位にたっている
前提で、目的としては相手の操作である
と言えます。
(無意識による上下関係の構築)
飴だろうがムチだろうが、背後にある目的は相手の操作である
褒められて嬉しいというのも、
無意識に相手に従属しているから
こその感情と考えられます。
アドラー心理学では、こういった
対人関係を「縦の関係」と表現します。
一方、理想的なのは、
「同じではないけれど、対等である」
という考えに基づいた
「横の関係」を構築すること
横の関係を構築できれば、
相手の問題に土足で介入する
こともなくなり、
介入の代わりに
「援助する」
という行動が取れるようになります。
介入と援助の違い
介入と援助って何が違うのだろうか?
先ほどの縦の関係とは、
相手を無意識に下に見て、
自分が優位な立場を構築することでした。
対人関係を縦で捉えているからこそ
相手の問題に介入してしまう。
(相手を自分の望ましいと思う方向へ導こうとする)
自分が正しい!(相手が間違っている)
一方の援助とは、
大前提に課題の分離があり、
それによる横の関係が築けているから
こそ行える行為と言えます。
(強制ではなく、自主性に働きかける)
課題を抱えている人間の、自力での解決を援助する
こうした横の関係に基づく援助を
アドラー心理学では
「勇気づけ」と呼びます。
まずは課題の分離をした上で、横の関係を築く努力をするべき
横の関係を築くには褒めるのではなく、
ありがとうと感謝の言葉を伝える。
一番大切なのは、決して他者を評価しないこと
褒めるor叱る。
もしくは評価の類は、
縦の関係から生まれる行動です。
(他者を評価しても)
(他者から評価されても)
「自分には価値がある」とは
心の底からは思えないと言えます。
人は、自分が共同体にとって有益なんだと思えた時にこそ、自らの価値を実感できるのである。
自らの価値を実感するためにも、
横の関係を他人と構築することが
最重要課題と言えます。
人間の幸福とはなんぞや?
共同体感覚を持つための3つの条件
横の関係から、本当の意味での自分の価値を感じることができる・・・。
その通りである。
うーん、言わんとしてることはわかるけど具体性に欠ける気が・・・
(そんなあなたに)
共同体感覚を持つための3つの条件があります。
自己への執着(自己中心性)を
他者への関心に切り替えて、
共同体感覚を持つためには
次の3つのポイントを押さえる必要があります。
① 自己受容
自己肯定ではなく、
「自己受容」
すなわち、できない自分がいたとしても
偽らずありのままを受け入れる姿勢のことです。
自己肯定には、自己暗示により
自らを欺くといった側面が存在します。
(何事も前向きに!の類)
言ってしまえば
「今回はたまたま60点だったけど、本当は100点取れたはず!」
と言い聞かせるのが自己肯定。
「今回は60点だったけど、どうしたら100点に近づけるのか?」
を考えるのが自己受容となります。
(100点満点の人間などいないと認める)
これを
「肯定的な諦め」
と言います。
交換不能なものを受け入れて、変えられるものを変えていく勇気を持つことが重要である
諦めるという言葉には、
元来、明らかに見る、
「物事の真理を見定める」
という意味があります。
自己受容も、
変化できるものなのか不可能なのか
しっかり見定める行為が重要と言えます。
② 他者信頼
信用と信頼という言葉は
別の意味合いが存在します。
信用とは、お金の貸し借りに代表される通り、
担保を必要とした上で、
返済可能な分だけ貸すといった
ニュアンスが含まれます。
一方、
他者を信じるにあたり、
一切の条件付けをしないことを
信頼と言います。
・・・無条件に信じる?利用されて終わりだよね。
信頼の対義語は懐疑である
懐疑の目を向けた瞬間、
相手も瞬時に察知します。
信頼していないと相手に感じられて、
本当に前向きな関係が築けるでしょうか?
無条件の信頼を前提にしてこそ
相手と深い関係が築けるようになります。
ただし、この場合の
無条件の信頼は
相手と良好な関係を築くための手段
と考えましょう。
決して道徳的な側面だけの、
教えではないことに注意が必要です。
すなわち、あなたが
目の前の人間と良好な関係を築きたいと
思わないのであれば、
関係を断ち切ってしまって構わないのです。
・・・・・・関係を断ち切るだって?
無理に関係を築きたくない人間と
良好な関係を目指す必要はありません。
ただ、対人関係にあたっては、
信じることを疑うよりも優先し、
他者を仲間とみなす努力をするべき
と考えましょう。
③ 他者貢献
他者を仲間とみなすことで自分の居場所を作り、仲間とみなすには自己受容と他者信頼の両方が必要になる。
哲人の言う通り、
他者を信頼することで仲間となり、
他者が仲間となることで、
自分の属する共同体に居場所を見つける
ことに繋がってきます。
そして「ここにいても良いんだ」と
心から思えるためには
他者への貢献を意識する必要があります。
・・・結局、自己犠牲ってことですか?
明確に否定します。
他者への貢献とは、決して自己犠牲のことではありません。
他者を敵とみなした上での
貢献は偽善と言われても
当てはまる部分が出てきます。
しかし、他者を仲間とみなした上での
貢献は決して自己犠牲や偽善の類ではなく、
自分の存在価値を感じることに繋がります。
自己受容・他者信頼・他者貢献を
三位一体と考えると、
- ありのままの自分を受け入れる
(自己受容)
→ 裏切りを恐れることなく信頼関係を築ける
(他者信頼)
- 信頼関係により
人々は自分の仲間だと思える
→ 他者へ貢献ができる
(他者貢献)
- 他者へ貢献するからこそ
→ ありのままの自分を受け入れられる
(自己受容)
と言った良い意味での
ループが出来上がります。
(共同体感覚を得るためのサイクル)
人生と調和した生き方
最終的には、
アドラー心理学の2つの目標
「自立」と「調和」に対して、
共同体感覚との関係はこうなります。
①自立すること
(自己受容)
②社会と調和して暮らせること
(他者信頼・他者貢献)
これらを実現した生き方を
「人生と調和した生き方」と呼び、
自らの価値を感じる生き方とも言えます。
人間にとっての最大の不幸は、自分を好きになれないことである
・・・では、幸福とは自分を好きになれること?
「自分を好き」という状態は、
自分への価値を自身で感じられる状態
とも言えます。
すなわち、
共同体にとって有益であるという感覚や、
誰かの役に立っているという思いは
「自分を好き」という感情へ繋がってきます。
(他者貢献)
この際の貢献とは、
目に見える貢献だけに留まらず、
主観的な感覚だけでも構いません。
私は誰かの(共同体の)役に立っているんだ!
という主観的な感覚
(貢献感)
だけでも十分なのです。
幸福とは?を一言で表現すると
(アドラー心理学の立場でいえば)
貢献感であると言えます。
幸福とは貢献感のことである
だったら、承認欲求だって似たようなもんじゃないか!
承認欲求を通してでも、貢献感は得られるという主張をする青年
貢献感が他人から承認されることになると、自分の人生ではなくなる
- 承認欲求を否定し、
- 自由の身でありながら、
- 肯定感を得るために生きていく。
自分の人生を生きながら、
貢献感を得るのが幸福な人生に繋がる。
・・・さて、青年は納得してくれたでしょうか?
【第5話】『嫌われる勇気』 共同体感覚と幸福論 対人関係のゴールについて まとめ
今回の内容のポイントはこちら
- 幸福とは貢献感を感じることである
- 自己受容・他者信頼・他者貢献は所属感を得るために必要
(共同体感覚) - 共同体感覚を得ることが、対人関係のゴール
- 承認欲求は自己中心性と隣り合わせである
- 縦の関係ではなく、まずは横の関係を目指す
しかし、自分は何者かになるべく努力を・・・。
普通であることの勇気を持ちなさい
哲人は青年に伝えます。
「なぜ特別になる必要があるのか?」
特別になる夢が挫けた時、
それは特別に悪くなることへの飛躍に
繋がるのではないか?
(承認欲求の変化)
人生には高邁な目標が必要ないと?
必要ありません(きっぱり)
人生とは連続する刹那である。
と、哲人は説明します。
線ではなく、点で人生を捉えることが重要である。
「今ここに生きてることに集中するべき」
人生設計などを持ち出し、
未来のことを予測しようとしても
実質不可能と哲人は断言します。
ならば夢を追いかける人間は愚かだと?
人生とは、今この瞬間をクルクルとダンスするように生きる、連続する刹那である
無論踊った結果として、
どこかにたどり着くことはあります。
しかし、その刹那に集中し、
踊るように生き、人生を送る人は、
その場に留まることはありません。
「今、できることを真剣かつ丁寧にやっていく」
昨今の世の中は、
目標ありきで、いかに
効率的に目標を達成するかのみで
語られることが多い気がします。
(特急列車的な発想)
しかし、目的地に到着することに
執着するような生き方は、
本当に充実した人生と言えるでしょうか?
「人生に目標は必要ない」
と哲人は明言します。
そもそも一般的な人生に意味などはない。
意味なき人生など生きてたまる・・・
人生に意味を与えるのは自分自身である!
最後に哲人はこう締めくくります。
今を真剣に丁寧に生きていれば、誰も知らないどこかにたどり着くことになる。自分自身で人生に意味を与えていく。人生とはそういうものである。
・・・なんてことだ。
青年は、
今まで築いてきた価値観が
全てぶち壊された感覚に陥っていた。
・・・僕も意味ある人生を送れるのでしょうか?
他の人がたとえ協力的でなかったとしても、今あなたは歩き始めるべきである。
少しその場で考えた後、
青年は、若者らしい笑顔で哲人に
感謝の念を伝えた。
「ありがとうございます。」
こうして青年は晴れやかな顔で、
哲人の部屋を後にするのであった。
・・・と、こんな感じで書いてきた
「嫌われる勇気のまとめ記事」
は今回で終了となります。
(書籍のキーワード要約記事は別途作成予定)
自分の復習兼ねての記事でしたが、
少しでも対人関係の参考に
してもらえれば幸いです。
また更新します。
そんじゃ、またね!
こんな書籍もあります。
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