どうもこんにちは。
タクミです。
『嫌われる勇気』
の内容まとめ記事。
今回は第4話となります。
過去の話はこちらからどうぞ。
今回の第4話は、
アドラー心理学の肝となる考え方、
「他者の課題の分離」・「自由の行使」
についてまとめております。
登場人物は変わらずこの3人。
(左から)
①アドラー顔の哲人 ②青年 ③(旧)タクミ
〜 前回までのあらすじ 〜
競争心を軸に生きていると不幸になる
ということを、哲人に教えられた青年。
・比較をするなら、
自分の理想との比較をするべし
・他者との違いを
積極的に受け止めることが重要
「他者の成功は、自分の負けでは決してない」
競争するのではなく、
人生の目標に、
向き合うべきと説明する哲人。
(自立・調和・自己肯定感・人々は敵ではなく味方)
そして青年に必要なのは、自分が変われると信じて
一歩踏み出す勇気であると指摘。
しかし、斬新な考えに強い抵抗感を示す青年。
「具体的に、どうしろというんだ!?」
と哲人に詰め寄る所から、第4話はスタート。
では参ります!
承認欲求を否定せよ
自由って一体なんだい?
先生!今日こそは、勇気を持って生きていくための具体策を提示してもらいますYO!
勇気を持って生きていくには、「自由」について理解しなくてはならない
哲人の言う自由とは一体なんなのでしょうか?
例えば、ドストエフスキーの小説の一幕に、
こんな言葉が出てきます。
「貨幣とは鋳造された自由である」
うーん、けだし名言。しかし、(確かにお金で自由になる部分はあるけど)自由とはお金であるとは言い切れないのでは?
結局、金持ちになったところで、抱える悩みは対人関係である
哲人曰く、金持ちになっても幸せになれるとは限らない、
むしろ、しがらみと言う名の「対人関係の悩み」が最終的に残るはずと指摘します。
(愛する人・家族・友人)
確かに、全ての悩みは対人関係に集約されるという教えは卓見と言えます。
ズバリ、自由になるには他人から嫌われることも必要である!
・・・うん?嫌われる?
まずは他人に認められたいという気持ち、「承認欲求」を捨てなさい
黙って聞いてればいい気になりやがって!「承認欲求」こそが我々人類を突き動かす普遍的な欲求じゃないか!
哲人の言い分に、
いつも通りのお約束をかます青年。
アドラー心理学の大前提、「承認欲求の否定」を詳しく考えていきましょう。
そもそも他者の期待を満たす必要などない
他者の期待を満たすためだけに生きていると、最終的には自分の人生ではなく他人の人生を生きていくことになる
違う!他者から承認を得るために、まずは自分から他者を認める必要があるんだ!
相互の承認欲求を肯定してこそ、
社会は成り立っていると主張する青年。
哲人はこう諭します。
承認欲求は、賞罰教育の流れに沿った考え方である
【賞罰教育とは?】
適切な行動をとったら、褒める。
不適切な行動をとったら、罰する。
一定の基準に同調するよう仕向け、
その基準から逸脱をしないようにという
前提の考えに沿った教育方法。
参考URL:賞罰(しょうばつ)とは - コトバンク
哲人は続けます。
賞罰教育の先には、褒めてくれないなら善行を積まない。罰せられないなら悪行をしてもいいという誤ったライフスタイルが待っている。
では先生は、承認欲求を捨てろと。他の人間のことを考えずに、身勝手に振る舞えばいいと、そう主張しているわけですね?
いえ、違います(きっぱり)
哲人は、決して傍若無人に振舞うことを推奨しているわけではありません。
承認欲求の否定を、正しく理解するためには
「課題の分離」というアドラー心理学の肝となる
考え方を知る必要があります。
「課題の分離」とは何か?
課題の分離は対人関係のトラブルを防ぐ意味でも重要
・・・課題の分離?なんですかそれは?
自分を変えられるのは自分だけである
こんなことわざがあります。
「馬を水辺に連れて行くことはできるが、
水を呑ませることはできない」
このことわざを、
先ほどの「課題」という言葉を使って考えると、
水を呑むことは馬の課題であり、他人が介入すべき事ではない。
ということになります。
では困っている人がいても、放っておけと?ふん。僕は哲人みたいな、冷たい人間にはなりたかぁないですね!
課題の分離を、ドライな考えだと否定する青年。
哲人は補足します。
あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと。もしくは自分の課題に踏み込まれることで引き起こされる。
誰の課題なのか見分けるのは、
シンプルな質問で分かります。
その選択によって、もたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰なのか?
例えば、子供が勉強しないことで親が悩んでいるケース。
勉強しないという決断で、
引き起こされる状況の責任を
負うのは子供自身であり、親ではありません。
(授業についていけない・受験に失敗等)
すなわち、勉強をするというのは、
親の課題ではなく、
「子供自身の課題となり、
親が踏み込むべき問題ではない」
と考えられます。
どこの世界に子供が不利益を被るのを黙って見ている親がいるんだ!
青年の反論にも一理あります。
「課題の分離」は決して見殺しにするような
放任主義を推奨するものではありません。
では具体的にどう考え、
どのように行動すべきなのでしょうか?
課題の分離を遂行する際の3つのポイント
① 他者の課題か自分の課題かまず確認する
先ほどの、
「最終的な責任を負うのは誰なのか?」
と問いかけることで誰の課題なのか確認しましょう。
② 明確な境界線を引き、他者の課題を自分で抱え込まない
他者の課題であることを確認した際は、
明確な境界線を引き、他者の課題を切り捨てましょう。
(自分で抱え込まない)
他者の課題を抱え込むのは、
自分の人生を重く苦しいものに変えてしまいます。
③ 課題の分離とは、対人関係の入り口と考える
課題の分離は、
対人関係の最終目標ではありません。
むしろ入り口だと考えると理解しやすくなります。
先ほどの親と子供の例で考えてみると、
家族だからと、お互いの距離が近すぎては
問題の本質が見えなくなり解決が困難となります。
一方、お互いの距離が遠すぎては
お互い相談することも叶わなくなり、
心が通うことがなくなってしまいます。
差し伸べれば、手が届く。しかし相手の領域に踏み込まない距離感が重要である。
これは相手のことを尊重、
ないし信頼できるからこそ、
見守れるという考え方に繋がります。
課題の分離は、
決して自己中心的な行動ではありません。
むしろ相手の課題に土足で踏み込む行為が
自己中心的な行動だと言えるでしょう。
(相手の課題を一方的に取り上げる行為)
自由な生き方 不自由な生き方
承認欲求は、詰まるところ、誰にも嫌われたくないだけである
・・・(図星)
誰にも嫌われたくないという生き方は、
ポピュリズムに陥った政治家と同様です。
常に他者の顔色を伺い、
他者の望みを叶えるように生きることは
確かに一つの人生の道標にはなるでしょう。
しかし、その生き方は非常に不自由であり、
結果的に自分に嘘をつき続ける
生き方となる可能性があります。
ほどなく嘘が露見した場合、さらに人生を苦しいものとしてしまい、
また嘘をつき続けるストレスも想像を絶するものがあります。
他者の期待を満たすように生きること
→ 自分に嘘をつき、周囲の人間にも嘘をつき続ける生き方
(自分の人生を他人に任せる行為)
本当の意味での自由とは、他者から嫌われることを恐れず、自分に嘘をつかずに生きることで手に入れることができる。
対人関係のカードは他の誰でもなく、
自分が握っていると考えることが重要となります。
また、
承認欲求の否定は、傾向性に逆らう生き方とも言えます。
【傾向性】
習慣的になった、感覚的欲望の意。
人間本来の欲求に赴くままの生き方を
傾向性に流されるなどと表現する。
嫌われることを恐れず、 承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、 自分の生き方(自由)を貫くことはできない。
・・・なるほど。納得しました。
嫌われる勇気 第4話 他者の課題の分離・承認欲求の否定 まとめ
今回のポイントはこちら
- 課題の分離を行い、線引きをしっかり行う
- 他者の課題には介入せず、自分の課題にも他者を巻き込まない
- 承認欲求を捨て、他者のためでなく自分のための人生を歩む
- 自由な生き方には、他者から嫌われることを恐れない姿勢が必要
- 課題の分離とは、対人関係の入り口に過ぎない
(適度な距離感を保つことはコミュニケーションの前提)
課題の分離が対人関係の入り口だとしたら、出口もあるの?
良い質問ですね!(キャラ違う)
次回はいよいよ最終回!
アドラーが唱える対人関係のゴール、
共同体感覚・人生の調和・幸せになる勇気とは?
また更新します。
そんじゃまたね!
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